MyStrings018:"多様性"と"ひも"(1593文字、ランクA)

前回書いた、「"頑張る"ということが本当に必要かどうか」という問題についての答えが"多様性"だと思っているわけです。つまり、頑張ることも頑張らないことも、多様で良いだろうと。

そもそも、なぜ「"頑張る"ということが本当に必要かどうか」ということを考えるようになったかというと、1つは前回の"都会と田舎の比較"だったんですが、もう1つは今年の春に美術館に行ったことが大きく関係しているんです。

そう、今年の春、美術館というものに行ってみたくて新潟市美術館に行ってみたのですが、そこでは企画展示として偶然に"青山二郎展"というものが開催されていたんです。青山二郎という人の名前に関しては、実はいつも聞いている茂木健一郎さんの音声ファイルの中で度々出てくる名前だったので聞いたことはあったのですが、特に何をした人なのかということは知らない状態でした。というか、見ている間も見終わった後もイマイチわからなかったのですが、家に帰ってネットで検索したり、また新しい茂木さんの音声ファイルを聞いたりして、「生涯職業に就くことはなかった」という情報を知ったのです。

「そうか」と思いましたね。俺は今まで、幸せな人生を送るためには仕事を"楽しんで"やらなければいけないと思ってたけど、そうじゃなかったわけです。幸せな人生を送るための必要条件は、"何でもいいから"幸せを感じられればいいということだけなんですよ。確かに、日本の憲法には"労働の義務"が書いてあるようですが、この宇宙の方程式にはそんなものは書かれてませんからね。

つまり、バリバリ働いてやりがいを感じるのも、そうではない方法で幸せを感じるのも、"多様性"の中の1つなのです。ああ、俺は「幸せを感じるために」生きているので幸せ度合が絶対的な評価軸になってますけど、そうじゃない人だったら、そもそも幸せにならなくたっていいわけですし。

でも、「だったら、どんな人生も等価なのか?」という疑問が生じますよね。夢をかなえた自分と夢をかなえなかった自分の人生はどちらも等価なのかと。

例えば、俺は今、試験期間真っ只中なのですけど、"多様性"という言い訳を盾にして全く勉強せずに試験受けることも可能なわけです。「一生懸命勉強して良い成績をとるのも、全く勉強せずに悪い成績をとるのも等価じゃねえかよ。だって、勉強したからって幸せになるとは限らねえだろ?」と。

これはつまりこういうことなんですよ。

Q1:「"頑張る"ということが本当に必要かどうか」
A1:「頑張ることも頑張らないことも、多様で良い」

Q2:「だったら、どんな人生も等価なのか?」

で、このQ2の答えが「自分の"ひも"に従え」だと思うのです。・・・ああ、ここで言う"ひも"とは"無意識"と読み替えてください。つまり、「頑張るかどうか」とか、「勉強するかどうか」ということの答えは自分の無意識に聞けば教えてくれるはずだと。

俺、中学生の時、英語で35点取ったことがあったんですけど、その後なぜか「やばい」という気がしてメチャクチャ勉強したんです。「自分の"ひも"に従え」ってそういうことなんですよ。自分の無意識は「どうしたら幸せになれるか」という問いの答えを全部知ってるから、その指示に従ってれば自然と幸せになれるはずだと。

逆に言うと、不幸になってしまうのは、何らかの理由でその指示を無視してしまうからだと思うんです。例えば、「一生懸命頑張った方が幸せになれるはずだ」と思いこんで、体が悲鳴を上げてしまってるのに無理をしたせいで病気になってしまったとか。または、無意識が「お前もっと頑張れよ」と言ってるのにそれを無視して、「全く勉強せずに悪い成績をとるのも等価じゃねえかよ」と屁理屈を盾にサボったり。

まあ、つまり、「無意識("ひも")と対話しながら生きていったらそんなに悪い人生にはならないよ」と思ってるわけです。