ブログに対する考え方001

ブログという名前が世に広まる前から、web日記というのはありました。でも、それにしたって、インターネット自体の歴史がまだ浅いわけですから、ブログに関するポリシーなんかは、ホント、人それぞれだと思います。

これを読んでる人は、結構な割合でブログを持っておられると思いますが、みなさんは、何のためにブログを書くんでしょうか。毎日の行動の記録だったり、コミュニケーションツールだったり。まあ、人の数だけ使い道はあるのでしょう。

今のところ、俺の動機は「自分の生活や思想の変化を記録すること」であると、そう思っています。「じゃあ、別にネットで公開する必要ないじゃないか」という疑問が生じますが、そんなことはありません。やはり、自分のためだけに書くより、人に読んでもらうこと前提に書いたほうが、より読みやすい文章になるでしょうし、そういう文章を毎日書いていると、頭の中もより整理され、しっかりとした考え方や哲学が身に着くと思うのです。

そしてまた、「インターネットの最大のメリットは知恵や知識の共有である」という考えを持っており、それに参加しているというのも、動機の1つです。昔、ある人のweb日記に出会い、「その人が何を考えて生きているか」を、垣間見ることができて、web日記の楽しさを知ったわけです。それなら、自分の考え方にも価値があるのではないか。そんな風に思ってるのですが、それだと、「自分の考え方が特殊である」、というように聞こえるでしょう。でも俺は、「全ての人はそれぞれ特殊な考え方を持っている」と思ってますから、世の中の人全員にブログを書いて欲しいくらいなのです。

例えば、俺はこれから"ひも"という概念を用いて自分の思想を書き綴っていきます。この"ひも"は超ひも理論という物理学からきており、これを知ったのは、俺が宇宙に興味を持っているからです。加えて、写真、音楽、競馬、または今まで出会った漫画、アニメ、映画、ドラマ等、それら全てが俺の思想に反映されてますから、これから書く内容にもその欠片が含まれていることでしょう。こう考えていくと、意外と書くことは沢山あります。宇宙、写真、DTM、競馬、新潟、有機化学等、これらの特徴を全て持っているのは世界中で俺だけですし、その俺の考え方も世界中で1つだけなのですから。

それは誰にでも当てはまることではないでしょうか。たとえ、「思想なんて難しいこと考えねえぜ」という人がいたとしても、俺は「じゃあ、なぜ思想は難しいと思うようになったのか」とか、「思想は難しいと思うこと自体思想じゃないか」とか、いろいろ聞いてみたい。でも残念ながら、多くの人はそういう小難しい話をブログに書いてくれません。それはその人の自由なのだから仕方が無いのですが、それならばなおさら、その人の思想を知りたくなります。

本音を言うならば、「その日何があったか」なんて書いてないで、
「今までの人生で何を思ってきたのか」を書けばいいのに、と思ってるんです。