"ひも"とは004:無意識を意識する2

前回書いた「無意識を意識する」ですが、この技術は写真を撮る時にも生かされています。自分で言うのもなんですが、客観的に見ても、俺は写真を始めた頃から比較的上手かった方だと思います。それは一重に「無意識を意識する」技術のおかげなのです。

写真を撮るという作業は、2つの工程からできています。1つは、「何を撮るか」を決める工程と、もう1つは、「どのように撮るか」を決める工程。この時、「無意識を意識する」という技術が生かされるのは、主に「何を撮るか」を決める工程です。

前回、「俺の"ひも"が感じたことに対して、丁寧に気づいてやることで、コードを判別しているのです。」と書きましたが、実は、写真についても俺は全く同じことをしています。どういうことかというと、俺の"ひも"は眼から入ってきた景色に対して、常に美しいかどうかを感じており、それを丁寧に気づいてやっているのです。例えば、この写真を見てください。

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この桜、実はゴミ捨て場の隣に咲いていました。しかも葉桜。こうして撮ると良い写真(だと俺は思ってます)ですが、普通はゴミ捨て場の隣にある葉桜をキレイだとは思いません。それは、葉桜と共に汚いゴミ捨て場が眼に入るのと、「葉桜は美しくない」という固定観念が働くためです。つまり、意識上には相殺されてしまい、「美しくない」という情報しか出てこない。しかし、"ひも"は葉桜の緑と薄ピンク、それと青空のコントラストを「美しい」と感じている。それに気づいてやればいいのです。

ところで、その肝心の"ひも"はどうやって出来たのか。先天的なものなのか、後天的なものなのか。俺の感覚は、2:8(先天的:後天的)位なのではないかなと感じています。俺が今までどうやって生きてきたかが、俺の"ひも"を作っているわけです。それは、次のようなイメージです。俺の心(脳)の中に"ひも"というスープ鍋があり、そこに毎日食材を投げ込んでいる。食材とは俺が経験した全てのことで、例えばそれは本であったり、見た景色であったり、人としゃべったことだったりです。そして、「無意識を意識する」というのは、そのスープから漂ってくる匂いを嗅ぎ分けることなのです。例えば、サッカー選手(特にFW)に対して、「ゴールに対する嗅覚を持っている」というような事を言いますが、それはまさに「無意識を意識する」だと思うのです。

(日本のFWが点が取れないのは、「無意識を意識する」感覚を知らないからなのではないでしょうか。きっと、写真や音楽をやったら、もっと点が取れるようになると思います。そういえば、ロナウジーニョはサンバを演奏しますし、サッカーの強い国は芸術に長けている国が多いような気がします。)