"ひも"008:レベル2→レベル3(part3)

「大学での勉強は仕事に生かせないから大学で勉強するのは意味が無いだろう症候群」の処方箋について。

-大学出は使い物にならん-

よく俺のじいちゃんは言うんですよ。「大学出は使い物にならん」って。それは、じいちゃんが実際に大学出の人を使ってみての感想なのですが、そうじゃなくても、「大学にいくとバカになる」という一般論を昔の人は持っているみたいですね。

で、なぜ、じいちゃんはそう思うのか。話を聞くとどうやら、机上の計算しかできない、ということみたいです。つまり、「ああすればこうなる」と思ってるから、「ああしてもこうならない」時にどうしていいのかわからない。柔軟な発想が出来ないということでしょうか。

これだと大学で勉強した意味は無いわけです。むしろしないほうが良かった。

-学部と仕事の方向性が違う場合-

話は変わりまして、今度は俺の父親の話です。俺の父親、薬学部出身なのですが、今は薬学とは全く関係ない仕事をしています。せっかく取った薬剤師の免許も全然使っていません。こういう、大学で勉強した内容と実際に就いた仕事の内容が全く違うことって、薬学部では珍しいかもしれませんが、他学部では割とあることだと思うんです。

「じゃあ、何のために大学に行ったんだよ」、「高校出たらすぐに今の仕事に就いた方が良かったんじゃないか」、そんな風に言いたくなるかもしれません。というか、俺も今、頑張って有機化学を勉強してますが、有機の知識を生かせない仕事に就くことも、十分考えられることでしょう。学部と仕事の方向性が違う場合、大学で学んだことは無駄なのでしょうか。「雑学」程度のものにしかならないのでしょうか。

-大学時代は遊ぶ期間か-

おそらく、上記の2つのことがあるので、日本では「大学時代は遊ぶ期間」と認識されているのだというのが俺の推測です。しかしそれだと、「なぜ親は子供を大学に通わせるのか」という疑問が生じます。

「どうせ仕事を始めたら楽しいことなんて無いんだから、その前に少しは遊ばせてやろう」という親心だと、亀田先生は言ってましたが、それは事実、俺の父親の考え方なのでした。仕事は辛いことだから、大学の4年間くらいは遊ばせたい。そしてさらに、そこで遊びながらも何とか薬剤師の免許さえ取れたら、食いっぱぐれることは無いだろうから、親としての責任は果たしたことになる。

これが俺の父親の考えみたいです。確かに、理に適ってるように見えますが、今の俺からしたら、そもそも前提条件が間違っているのです。まず、大学を出ても柔軟な発想は出来ます。そして、学部と仕事の方向性が違っても、大学で勉強したことは無駄になりません。さらに、柔軟な発想が出来て、大学で勉強したことを生かせるならば、仕事は辛いだけのものではなく、楽しさと充実感を得られるものになるのです。

-個別から普遍、普遍から個別へ-

柔軟な発想ができないのも、大学で学んだことが生かせないのも、俺から言わせれば、原因は同じです。それは、「"ひも"を知らないから」。と言っても、ここは"ひも"を説明する場なので、言い方を換えましょう。「個別の能力から普遍的な能力を得て、他の個別の能力に転用できることを知らないから」ということになります。図にしてみましょう。

ここでいう、普遍的な能力を"ひも"と言うことも出来ます。(「普遍的な能力=ひも」ではありません。)なので、この図を俺に当てはめると次のようになるわけです。

写真の能力がレベル2になると、"ひも"のレベルが2になり、"ひも"のレベルが2になると、DTM・競馬・有機化学のレベルが2になる。そんな感じなのです。

別の具体例を挙げましょう。

ファミコン時代のシューティングゲームに「グラディウス」というソフトがあります。(別に「グラディウス」でなくてもいいのですが、なんとなく。)「グラディウス」を毎日一生懸命やっていると、「グラディウス」が上手くなります。つまりここで、「グラディウスが上手く出来る」という個別の能力を得たわけです。さて、その「グラディウスが上手く出来る」のはなぜなんでしょうか。もちろん、「安全地帯を知ってる」のようなノウハウ的なものもあるでしょうが、例えば、3方向からミサイルが飛んできた時などに必要な「瞬時の決断力」という能力もあるでしょう。

「瞬時の決断力」は普遍的な能力です。ですから、他の個別な能力に転用することが出来ます。それは例えば、「車の運転」でしょう。

車を運転したことがあれば分かるでしょうが、自分以外の3台の車の軌道を予測して自分の車をどうするか「決断する」。そういう状況ってよくあることでしょう。ここで、昔やった「グラディウス」の経験が生きるわけです。

-無意識を意識する必要がある-

言語化できるのですから、「グラディウス」と「車の運転」は比較的リンクしやすい能力だと思います。グラディウスをやってる感覚をイメージせずとも、頭は勝手に車の運転時に「決断力」を発揮してくれるでしょう。しかし、他の事はそう上手くいきません。「写真」と「有機化学」とかなんて、何の繋がりもないように感じられます。でも繋がっているんです。ただし、それは物凄く漠然としているものなので、言語化なんて出来ない。というか、例えば「有機化学」を悩んでる時に何かひらめいたとしても、このひらめきの起源は「写真」である、なんていう風には辿れません。それは、無意識を意識しまくって、ようやく「あ、"ひも"から何か出てきた!」と思える程度のものなのです。

いや、それだと少しニュアンスが違うでしょうか。有機化学を悩んでる時などに、「無意識を意識する」と、何かを閃く。つまり俺が言いたいのは、「個別→普遍→個別」という能力の転用をするには、「無意識を意識する」必要があるということなのです。

-柔軟な発想ができない、その理由-

柔軟な発想ができない、つまり、「ああすればこうなる」と短絡的に考えるのは、その問題に対して、「1つの個別の能力」でしか考えられないからでしょう。現場の問題は常にいろんな要素が絡み合って、「複雑系」をなしているのに、それを「1本の方程式」で解こうとするのは、かなり無理があるのです。これを解くには、同じ複雑系である"ひも"を用いるしかない、というのが俺の考えです。

-大学で学んだことが生かせない、その理由-

大学で学んだことが仕事に生かせないのも、「能力の転用」という裏技を知らないからだと思います。それは、「無意識を意識する」という能力を使っていないということもあるでしょうが、もう1つ、「大学時代に一生懸命勉強していない」ということも考えられます。「石の上にも三年」と言いますが、「個別から普遍」という最初の段階は、かなりの努力が無ければ起こりません。前回書いたように、「テストのために勉強して、テストが終わったらすぐに忘れる」ということを続けていたら、無構築な人間になるだけなのです。

-大学で学んだことは仕事に生かせる-

まとめると、大学時代に一生懸命勉強し、個別から普遍へ沢山能力を送り、社会に出たら、無意識を意識して、普遍から個別へ能力を汲み上げる。それが、俺の思う「大学での勉強は仕事に生かせないから大学で勉強するのは意味が無いだろう症候群」の処方箋なのです。