"ひも"009:レベル2→レベル3(part4)

今回は仕事についての話です。もし、「仕事をしていないおまえに何がわかる」と思う方は読まないでください。

「仕事が楽しいはず無いじゃないか症候群」を治すための処方箋について。

-仕事とは何か-

俺がついこの間まで考えていたのは、仕事とは「とりあえずは生活するために、あわよくば豊かな生活をするために、金を得ること」というものでした。しかし、その考えは養老孟司さんの本を読んで、いくらか思い直したのです。

養老さんが言うには、仕事とは「社会に開いている穴を埋めること」だと。つまり、社会の中に誰かが埋めなくてはいけない穴があり、それを自分が埋めると、社会からの報酬としていくらかのお金が貰える、というわけです。

この2つの考え、前の俺の考えと養老さんの考えで異なっている点は、前者が「金が得られるならば、仕事は何でも良い」という解釈が出来るのに対して、後者は「仕事は社会が要求しているものに限定される」と解釈できる点でしょう。この違いはかなり大きいものではないでしょうか。

-埋めた穴の大きさ=報酬の額-

「金を儲けて何が悪い」と言われると、「いや、別に悪くは無いけどさぁ・・・」と思いたくなります。その「さぁ・・・」の後に続く言葉は何か。俺は「その主張、なんか違和感がある」という言葉ではないかと思うわけです。

そしてその違和感、おそらく、「埋めた穴の大きさ=報酬の額」が成り立ってないんじゃないか、という疑念から来るものだと推測します。つまり、100万円の価値の仕事をして、その報酬として1000万円手にしていたら、客観的に見て、なんか釈然としないわけです。

しかし、その人にとってみれば、回収率1000%だったわけですから、嬉しい出来事です。ですが、嬉しいからといってそれを続けていけば、バブルが生じ、やがて弾けるでしょう。その具体的な例が、「金を儲けて何が悪い」であると、俺は思っています。

ですから、それを踏まえた上で「埋めた穴の大きさ=報酬の額」というものは守るべきルールであると俺は考えるわけです。

-なるべく大きな穴を埋めるべき-

もし、「埋めた穴の大きさ=報酬の額」が守られるのならば、なるべく大きな穴を埋めるべきではないでしょうか。なぜなら、その方が社会に対しても、自分に対しても得だからです。もちろんこれはその人の価値観によるものですけど、少なくとも俺はそう思います。せっかく直径100mの穴を埋める能力があるのに10mの穴しか埋めないのは、社会にとっても、その人にとっても、「勿体ないこと」ではないでしょうか。(「勿体」とは、「あるべき姿」という意味だそうです。)

俺が今日読み終わった「さおだけ屋はなぜ潰れないのか?」という本によれば、会計では、そういう「売れるはずだったものが、実際には何らかの理由で売れなかった」ということを「機会損失」と呼び、マイナスとするのだそうです。つまり、「直径100mの穴を埋める能力があるのに10mの穴しか埋めない」は、利益=10m、機会損失=100m−10m=90mとなり、合算で−80mの赤字となるわけです。

-"ひも"に近い方が違和感が少ない-

以上が、俺の考える「仕事の"ひも"」です。(ここでの"ひも"は"原理"と言い換えることが出来るでしょう。)そして、「人は、"ひも"に近い方が違和感が少ないため、楽しく感じやすい」というのが俺の考えです。(以前書いた、「ちゃんとした勉強」は罪悪感が無いために楽しさを感じる、も同じ意味ですが。)

ですから、「仕事の"ひも"」に準じていると、それだけ仕事を楽しく感じやすいのではないかと思います。

-セルフマインドコントロール-

しかし、それ以上に重要なのが「自分の感情を制御すること」でしょう。もしこれが完璧に出来たら、仕事は絶対に楽しくなるはずです。例えば、「あなたは、やる気が出ない時、やる気を出すためにどうしますか?」ということを自問自答してみれば、自分のセルフマインドコントロール能力がわかるでしょう。

俺の最も効果的な方策は、「プロフェッショナル 仕事の流儀」を観る、です。他にも、学校へ通う時などは、朝早く起きる、シャワーを浴びる、音楽を爆音で聴く、背筋を正して歩く、・・・など、いろんな方法を使ってます。

-自分にウソをつく-

セルフマインドコントロールは、「自分にウソをつく」と言い換えることもできるでしょう。腹が立った時、辛い時、落ち込んだ時はそれを忘れようとコントロールし、楽しい時、嬉しい時はさらにその感情を増強させようとするわけですから。

例えば、無意識中で、ある勉強をすることがめんどくさいと思ってたとしても、そこはあえて意識的に「おわ!すげー面白そう!」と思ってみるわけです。そうすることで、脳は「おわ!すげー面白そう!」って思いたいんだな、という俺の意識を酌んでくれ、次第に自然と「おわ!すげー面白そう!」と思うようになるでしょう。

それは確かに、意識的になりすぎる(=都市化しすぎる)というデメリットもあるでしょうが、俺としては、自分にウソをつかずにネガティヴな感情を抱いたまま毎日を過ごすよりも、日常は無理やりにでもポジティブに考え、休日などにその無理やりにした部分、つまり意識的になりすぎた部分を回復させる方が、全体として合理的であると考えます。

-自浄せよ-

なぜこんなことを書くかと言うと、他の人と愚痴を言いあうことでストレス発散する、そういうことが往々にしてあるからです。俺が思うに、愚痴を言い合っても、それはネガティヴな感情の交換にしかなりません。根本的なストレス発散にはなっていないと思うわけです。それならば、好きなことを思いっきりやって、嫌なことを忘れてしまった方がいい。そして何より問題なのは、愚痴を言われた側に元々ストレスが無かった場合、それは等価交換にはならないということです。つまり、愚痴を言われた側にとっては一方的な損失でしかない。

結局、自分のネガティヴさは自分で浄化すべき、ということが言いたいわけであり、そのためには、セルフマインドコントロールが必要不可欠だと思うわけです。